かがやき7号 500歳野球誕生のキッカケA 大仙市野球連盟神岡支部 理事長 伊藤久 その頃(昭和五十三年)、高橋政泰氏は会社重役として東京支社長等を努め 多忙をきわめており、町を留守にすることが度々でした。しかし秋田県野球協会会 長として県野球界のリーダーとして活躍されておられることは同氏の地元同級生 達にとっては誇りであり自慢でありました。秋田中学校時代の三回にわたる甲子 園大会への出場や東京農大での一部昇格の原動力となったこと、帰県してからは 東肥野球部の全盛時代を築きプレーイングマネージャーとして活躍されたと言う様 な輝かしい球歴の同氏と一緒にプレイすることは、憧れのスタープレイヤーと野球 が出来る子供心と同じだと思われました。その後、練習をお手伝いし側面から見 ていても、童心に帰り身体全体で楽しんでいることが強く感じられ、【神宮寺の爺 さん】方の野球に対する思い入れは半端でなく、これが伝統とか歴史というものか なあと思えたし、既存のルールに一寸した遊び心を加えれば高齢者でもこんな野 球の楽しみ方も出来ることも確認した二十九年前でした 。 |