かがやき8号 500歳野球誕生のキッカケB
                 大仙市野球連盟神岡支部 理事長 伊藤久 



少年野球の名門、地元神宮寺嶽クラブも大会初期はなかなか勝てず、大会委

員長の伊藤彊氏から『地元チームが大会一日目で姿を消すのは大会の盛り上が

りが欠け残念だ。確か神宮寺には【板垣】という素晴らしい投手がおったが何歳

でどこのチームに所属しているのか』質問がありました。当時*板垣誠一氏は4 9

歳で秋田営林局に勤務し、中学校に出向き投手コーチをしながら体調を整え500

歳野球大会出場を見据えていた頃でした。当時の選手登録は9月1日現在に年齢

基準がおかれ同級生でも大会出場出来る方、出来ない方が半々でありました。板

垣氏はS8・9・27生で次年度大会出場も不可能でしたが、大会委員長の計らいで、

次年度からは同級生出場可能(49歳登録も認める)と大会規定が変わり、板垣氏

は大会規定を変えさせるほどの戦後の少年野球大投手であったことが伺えました。


 
戦後初の全県野球大会で優勝・神宮寺国民学校チーム、当時のメンバー(昭和21年)
右下が板垣投手


*板垣誠一氏
地元神宮寺で半世紀以上も語り継がれている名投手。戦後第一回の少年野球県
大会で、一年生エースとして優勝の立役者となった。
   



地元酒造会社(福乃友、刈穂、出羽鶴)のご厚意で樽酒サービスの時期もありまし

たが、これは(どこで樽酒サービスの情報を聞いたのか)選手でない酒好きの地元

住民数人が朝から樽酒の前を離れず、泥酔状態で試合を終え喉を潤すためにその

場所に立ち寄った選手達に悪態をついた事などから短期間で終わりましたのは残

念な思い出です。

500歳野球大会と地場産野菜販売も始めるまではミスマッチの気持ちが強くありま

した。条件として新鮮で市場価格より安くという事で、JA婦人部にご協力をいただき

始めたわけですが、現在の盛況振りは、はじめは想像もつきませんでした。今では

野菜販売農家の方々から感謝されておりますし、500歳野球大会の風物詩となっ

ております。これも秋田魁新報社の熱心なご指導であり改めて秋田魁新報社の先

見性に脱帽です。          つづく




     
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                 大仙市野球連盟神岡支部 理事長 伊藤久    

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500歳野球の歩み