かがやき9号 500歳野球キッカケC
                 大仙市野球連盟神岡支部 理事長 伊藤久

全県500歳野球大会育成に大きな足跡を残した故藤井公広氏に

スポットを当ててみます。

藤井氏は第一回大会〜第二十回大会まで秋田魁新報社事業局と

二人三脚で二十年間大会副委員長として今日の大会隆盛の礎を作り上げた方で、

神岡町町議会議員(後に議長)・防犯協会会長・体育協会会長

・野球連盟会長・畜産団体役員…とにかく町の発展に尽くされた方です。 

おはよう野球チーム・大浦クラブ監督時代の藤井氏



特筆すべきは、昭和四十年代後半〜五十年代前半には町の野球行事が廃れ、

小・中学校大会以外の一般の野球行事は皆無で、

「このままでは“野球の町神宮寺”が忘れ去られる」

と強い危機感を持ち、神宮寺野球復活を願っている人でありました。

昭和五十二年に前連盟を発展的解消し現在の連盟を立ち上げ、

直ちに町長杯野球大会を実施され、

今でもお盆で帰省する人々が地元チームに入りプレイしたり、

同級生がチーム編成したり楽しい野球大会として継続されております。

また、小・中・高で全県的、全国的に活躍された児童生徒に

体育賞を創設され子供たちにも大きな夢を与えてくれました。   

藤井氏は懇親会・反省会の出席率100パーセントの方で

各種会議後の席も数多くこなし、

大農家でしたのでその分奥様は大変ご難儀された事と思います。

大会期間中雨天時には自家用トラックで砂の運搬、トラクターで球場整備など、

いつも先頭に立っていました。

審判団と一緒に(上段左から3番目)



いくら多忙の中でも打ち合わせ・会議等には時を守る方で、

時を無駄にしないことなど無言のうちに大切な事を学びました。   

自家用車には、スーツ・Yシャツ・ネクタイなど揃えており、

ダンディかつ人間味溢れた人でした。

当時の魁新報社の伊藤彊局長とは波長が合い、

度々本部席からスーっといなくなり山菜採りや温泉巡りなどされ、

事務局が慌てて探した事もあり、今はよき思い出のひとつであります。つづく


             かがやき9号 500歳野球キッカケC
                 大仙市野球連盟神岡支部 理事長 伊藤久   

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500歳野球の歩み