かがやき6号 500歳野球誕生のキッカケ@
                 大仙市野球連盟神岡支部 理事長 伊藤久

500歳野球誕生のキッカケは語り尽くされた感もありますが、昭和53年9月

に高橋政泰氏(当時59歳 東北肥料株式会社取締役 秋田県野球協会会長)

が、昭和5年神宮寺小学校尋常科が全県準優勝した時の同級生に呼びかけ、

神宮寺嶽の麓、中川原球場にて紅白試合を行ったことが始まりです。

 紅白試合の後、佐々木広之輔翁(人見誠治元秋田魁新報社社長の友人、【か

がやき】を発行しているトピックス・ササキ社長佐々木康浩氏の祖父)、佐藤亀治

神岡町長(500歳野球大会を町おこし事業と捉え、大会育成に尽力)を囲み神宮

寺嶽をバックに記念撮影、そしてお決まりの反省会は現役に勝るとも劣らず大い

に盛り上がった。試合に出場したくとも出場機会がなく、野球をしたいフラストレー



ションの固まりの年代であることを私なりに見定められたことも収穫の一つだった。

ましてや同年代と野球試合が出来た事で、『秋田県内には自分達と同じ思い(野

球をしたい)の方々が大勢いるはずだ。【神宮寺】で全県大会ヤルベィ』と話がドン

ドン大きくなった。『万助(佐々木広之輔氏の屋号)さんと勘九郎(政泰氏の屋号)

のアンサン(政泰氏のこと)なら、秋田魁新報社に顔が効くだろうから大会後援と

優勝カップをお願いしていただきたい。』と野球に対する飽くなきオールドパワーの

発揮、旧球児達の面目躍如たるものであった。高橋政泰氏もタジタジだったが、そ

の時のことを後年私(当時、政泰氏に厳命され球場確保、ライン引き、ボールボー

イ、反省会の会場設置の雑用係をしたことが鮮明に思い出されます)に【神宮寺は

本当に野球好きがいるなあーと実感し涙がでる位、嬉しかった。】と語ってくれまし

た。政泰氏が秋田魁新報社にお願いするのは吝かでないが、いきなり全県大会で

もないだろうから来年(昭和54年)郡大会を開催したらどうかと折衷案を出し、よう

やく反省会を終えた事が昨日のように思われます。   つづく

     
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                 大仙市野球連盟神岡支部 理事長 伊藤久   

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500歳野球の歩み